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「ひとの声、だったよね」
ああ、と短く返して声の主を探す。
民間人が盗賊の類に襲われたか、野生の動物に荷物を奪われたあたりだろうと予想はつく。
行って何ができるという訳でもないのだが、それでも放っておけないのは彼女が助けたいと願うからだ。
結局の基準は全てそこに繋がってしまうのが自分でもいただけないとは常々思っていることでもある。
ただ天涯孤独で投げ出された時にそばにいて笑ってくれたこと、必要とされたことは代えがたい救いになっていた。あらがうに抗えない理由もそこに準ずると思われる。
歩幅を合わせてシエロの半歩後ろを走ればもう一度悲鳴のような声が聞こえた。

「うわぁ、うわぁあああ!」

声から察するに若い男性、それも高めの声からさほど体躯は大きくないと予想される。
茂みを抜けて踊り出てみれば少し開けた場所に出た。
そこでシエロは…いや自分も同じく動きを止めた。
先ほどの声の主であろう尻餅をついた青年と、その視線の先にあるもの。
黒いもやのような塊が、まるで生き物のように形を成している。

「なにあれ…」
口をついたシエロのつぶやきに同じことを思った。
到底登れないような木と同じくらいの高さの黒いもやに足と腕の四肢ようなものがある。
頭のようなものは見受けられないので生物ではないと踏むが、腕らしい部分が触れた木は勢いをつけて倒れていった。
つまり実体はあるということだ。
とりあえず飛び出すことはせずに近くの茂みに身を隠しながら様子を窺った。

「…クロエ、どうにかできそう?」
おず、と珍しく控えめに聞かれたせいで反射的に応と答えたくなったが見たこともない相手に対して安くは定められない。
今まで読んだ文献などを頭の中で参照しつつ目を伏せて考えてみるが、そもそも物理的な打撃が効くかも怪しい。
手持ちは刃のついた近接の武器のみ。
シエロの魔法は攻撃に向いた部類ではない。
体躯の差から間合いに入ることも難しいように思う。
しかしここまで来て見ぬふりをして去る選択肢はシエロ共々持っていない。
考えた末、ここでの最善策だろう案を伝えようとすると、シエロは目が合っただけで頷いてみせた。
すぐに目を閉じ、口の中で詠唱をはじめる。
こういった場面での理解の速さは流石だなと自分の姫ながら感心した。

「万物を統べる英霊の声 御霊を捧げる祈り 限りなき加護の息吹よ…」
鈴を転がすような普段とは違った声色を背に自分の得物をいつでも抜けるように準備しつつ飛び出す準備をする。

「我が手 我が声に力を貸し給え…!」

巻き上がる風の塊が黒いもやに向かって真っ直ぐに向かっていく。
周りの木を巻き込んで風が視認出来たところで風は見事黒いもやに炸裂した。一瞬怯んだような動作を見せた瞬間に茂みから飛び出して青年に呼びかける。

「おい、立てるか」
きょとんとされた。無理もない。それが普通の反応。だがそんなことに構っている余裕はないので強引に青年の腕を引いてシエロとは逆側の茂みに隠れる。
思った以上に鍛えているような腕だったがやはり全身から便りなさを感じる体格をしていた。

「あ、あの 僕は」
「大丈夫だったか」
「あ、はい、ありがとう…ございます」
どこか申し訳無さそうにしている青年を横目に茂みから顔だけを出してシエロの場所を確認する。
目的の青年を助けることが出来たのでシエロと合流しようと気配を探るが、見知らぬ土地であるせいなのか なかなか思うように彼女の居場所を掴めない。
憤慨でもしているのか 先ほどの黒い物体が腕のような箇所を振り回して周りの木々をなぎ倒していく様が目の端に写った。
地響きのような音を立てて大木が地に伏していく。
シエロのことなので移動していないとは思うが気配がはっきりしないので迂闊に動くことが難しい。
下手に声を出したらバレそうだと目だけで後ろを確認すると事態は把握しているのか青年も息を潜めてくれていた。黒い実体は闇雲に木々を薙ぎ倒していて土煙が舞い始める。
倒れた木の向こう側にやっとシエロをみつけた。
しかし最悪な事に黒い靄がそこをめがけて腕のような箇所を振り下ろしているところだった。

「シエロ!!」
すかさず飛び出して走るが、間に合わない。
どれだけ全力で走っても届かない距離だと悟った。
伸びる黒い腕が迫る。彼女の見開いた目がゆっくりと脳に焼き付いていくような嫌な感覚。
シエロを失うという言葉が意図せずに浮かんだ。
それだけは。それだけは嫌なのに事実は眼前まで迫っている。
やめてくれ。やめてくれ…!

非情にも轟音が鳴り響く。
木々が巻き込まれて倒れて行く音に包まれる。
だが音は、何故かクロエの後側から響いていた。
確認をするように振り返ると先ほどの黒い靄が大木を巻き込んで倒れていた。
次第に霧散していくような光景に目を瞠る。
一体何が起きた。

「……ッ!」
それよりもシエロは、とあたりを探すと土煙の向こう側に彼女を抱えた男がいることに気がついた。目を閉じてはいるが生気を感じるので気を失っているだけなのだろう。
一方の男はというと硬い布地…軍服のようなものを着てはいるが、腕をまくり首下までボタンを外している身なり。硬質の短い金髪が更に印象を悪くさせた。
しかもあろうことかシエロの腰に手を回している。許すまじ事態だ。
こちらの視線に気づいたのか、男は皮肉溢れる笑顔を向けてきた。

「見たところ、あんたのお姫さんか」
ちゃんと守ってやれよ、と口元だけで笑う。
形容しがたい明らかな嫌味。
しかし状況的にシエロを救ってくれたのは間違いなくこの男だと思われるので距離を詰めて目を伏せた。

「…感謝する」
「へえ、見た目より冷静なんだな」
嘲笑うような態度に眉間のシワが寄ることを自覚したが、シエロには代えられないので受け流す。
近付けば血色もよく怪我などをしているようにも見えないのでひと安心する。
肩越しに先ほどの靄を見てみるとほとんどが空気に溶けていて元から何もなかったかのようなことになっている。
かろうじて倒された周りの木が夢ではなかったと教えてくれる程度だ。

「派手に暴れやがったな。
後の処理が面倒クセェこっちの身にもなってほしいもんだ」
視線を追うように話す男はどうやら口も悪いらしい。

「あれは一体なんなんだ」
「あん?お前さん”魔物”も知らねェなんて国外の人間か?黄都じゃあ知らないほうがモグリだぜ?」
先ほどの靄は魔物というのか、と名称を覚えながら遠回しに素性を聞いてきてなおかついちいち癇に障る言い方をする男から気を失っているシエロを受け取ろうと手を伸ばす。
男はそれをわかってかわざわざ自分の体を割り込ませてシエロを渡してこない。
眉間のシワが表に出ていることを自覚しながらも諦めて姿勢を正した。

「俺はクロスタンス・エルリレード。
そいつはシエロ・メルフィエーラ。南にあるルミエール島の姫巫女とその護衛だ。黄都には入国審査が必要ないと聞いていたんだが」
「ああ、入出国に手続きはいらない。
ただ、一般人は勝手に魔物と交戦すんなっていう規則があるんだわ。つー訳で…ラック」
はい、と後ろから声がしたと思ったら先ほどの青年がそこに立っていた。
着崩し方が違ったせいでわからなかったが、よく見たら二人は同じ服を着ている。胸には黄都の紋章である六角形のバッチが付いていた。
なるほどそういうことかとため息をついた。
この二人は先ほどの魔物討伐を生業としている黄都の人間で、黄都には一般人の魔物交戦が許されていない。つまり。

「黄都魔物討伐隊 第三隊のクラジュ・フォートだ。
せっかく丁寧に名乗ってくれたところ申し訳ないがな、とりあえず帝都の牢にしばらく幽閉させてもらうぞ」
ここで逆らっても気絶したシエロを抱えて逃げることはかなわないので大人しく従うしか道はないらしい。
長い溜め息で了承を示して、なんとも前途多難な旅だと自覚をした。
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