その夜、火は小さかった。
薪を足せば明るくなる。
けれど男は、あえてそうしなかった。
暗さに慣れた視界の中で、
青年は焚き火の端に膝を抱えて座っている。
長い沈黙のあと、青年が言った。
「……仮名を、使い続けるつもりでした」
「おう」
「でも」
「……呼ばれてしまった」
男は、頷くだけだった。
「名前を持つって」
青年は続ける。
「思っていたより、逃げ場がありませんね」
火が、ぱちりと鳴る。
「それで」
男は低く言う。
「どうした」
青年は、しばらく黙っていた。
唇を開いては閉じ、
何度も息を整える。
「……条件があります」
「聞こう」
「呼ばないでください」
「……ああ」
「覚えるだけで、いいですか」
「できる」
それで、十分だった。
青年は、ようやく男を見る。
「僕の名前は」
一瞬、声が止まる。
名前は、喉を通る前に一度、胸に落ちた。
「……レイです」
焚き火の音以外、何も変わらない。
夜も、風も、星も。
男は、すぐには何も言わなかった。
「重いか」
しばらくして、そう尋ねる。
「……はい」
「それでも、言ったな」
「……はい」
男は、焚き火を見つめたまま言う。
「ありがとう」
それだけだった。
祝福もしない。
意味づけもしない。
青年は、肩の力が抜けるのを感じた。
「……不思議ですね」
「何がだ」
「名前を渡したのに」
「……軽くなりました」
男は、小さく息を吐いた。
「預けたからだろ」
「……預ける?」
「手放すのとは、違う」
「抱え続けるのともな」
青年は、その言葉を反芻する。
「……あなたは」
「ん」
「僕の名前を」
「呼びたくなったら、どうしますか」
男は、即答しなかった。
少し考えてから、言う。
「呼ばねえ」
「……」
「呼ばなくても」
「分かる距離にいる」
青年の目が、わずかに揺れた。
「……それは」
「ずるいです」
男は、笑った。
「昔から言われる」
青年は、焚き火を見つめる。
「……レイ、という名前は」
「……」
「残ってしまっていい名前、だと思いますか」
男は、静かに答える。
「思う」
「理由は」
「俺が、覚えた」
それは、論理ではなかった。
ただの事実だった。
その夜、青年は眠った。
夢を見た。
誰かに呼ばれる夢ではない。
呼ばれなくても、そこにいる夢だった。
薪を足せば明るくなる。
けれど男は、あえてそうしなかった。
暗さに慣れた視界の中で、
青年は焚き火の端に膝を抱えて座っている。
長い沈黙のあと、青年が言った。
「……仮名を、使い続けるつもりでした」
「おう」
「でも」
「……呼ばれてしまった」
男は、頷くだけだった。
「名前を持つって」
青年は続ける。
「思っていたより、逃げ場がありませんね」
火が、ぱちりと鳴る。
「それで」
男は低く言う。
「どうした」
青年は、しばらく黙っていた。
唇を開いては閉じ、
何度も息を整える。
「……条件があります」
「聞こう」
「呼ばないでください」
「……ああ」
「覚えるだけで、いいですか」
「できる」
それで、十分だった。
青年は、ようやく男を見る。
「僕の名前は」
一瞬、声が止まる。
名前は、喉を通る前に一度、胸に落ちた。
「……レイです」
焚き火の音以外、何も変わらない。
夜も、風も、星も。
男は、すぐには何も言わなかった。
「重いか」
しばらくして、そう尋ねる。
「……はい」
「それでも、言ったな」
「……はい」
男は、焚き火を見つめたまま言う。
「ありがとう」
それだけだった。
祝福もしない。
意味づけもしない。
青年は、肩の力が抜けるのを感じた。
「……不思議ですね」
「何がだ」
「名前を渡したのに」
「……軽くなりました」
男は、小さく息を吐いた。
「預けたからだろ」
「……預ける?」
「手放すのとは、違う」
「抱え続けるのともな」
青年は、その言葉を反芻する。
「……あなたは」
「ん」
「僕の名前を」
「呼びたくなったら、どうしますか」
男は、即答しなかった。
少し考えてから、言う。
「呼ばねえ」
「……」
「呼ばなくても」
「分かる距離にいる」
青年の目が、わずかに揺れた。
「……それは」
「ずるいです」
男は、笑った。
「昔から言われる」
青年は、焚き火を見つめる。
「……レイ、という名前は」
「……」
「残ってしまっていい名前、だと思いますか」
男は、静かに答える。
「思う」
「理由は」
「俺が、覚えた」
それは、論理ではなかった。
ただの事実だった。
その夜、青年は眠った。
夢を見た。
誰かに呼ばれる夢ではない。
呼ばれなくても、そこにいる夢だった。
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