3

町は、男の過去を覚えていた。

石畳の通りに足を踏み入れた瞬間、
壮年の男はわずかに歩調を落とした。

「……知ってる町ですか」

青年が尋ねると、男は曖昧に肩をすくめる。

「昔な」

それ以上は語らない。
青年はそれを追わなかった。

酒場の看板を見たとき、男は足を止めた。
古い木製の扉。
削れた文字。
青年には、ただの古びた店にしか見えない。

だが、男は――
逃げ遅れたような顔をしていた。

「入るぞ」
「はい」

中は昼間から薄暗く、客も少ない。
カウンターの奥で、ひとりの人物がグラスを磨いていた。

その手が、止まる。

「……あら」

声は低く、落ち着いている。
しかし、その一瞬の沈黙が、すべてを物語っていた。

「生きてたのね」
「そっちもな」

それが、再会だった。

青年は、二人の間に流れる空気を言葉にできなかった。
怒りでも、喜びでもない。
積み重ねた時間そのものが、そこにあった。

「彼は?」
女が青年を見る。
「旅の連れだ」
「へえ」

女は微かに笑った。

「昔のあなたは、誰とも連れ立たなかったのに」

男は返さない。
代わりに、椅子に腰を下ろす。

「……あのときは」
女が言う。
「私を置いて、どこへ行ったの?」

男は、グラスを受け取りながら答えた。

「どこにも行けなかった」
「嘘」
「本当だ」

青年は、その言葉に引っかかりを覚えた。
“行かなかった”ではない。
“行けなかった”。

女はしばらく黙り、やがて息を吐いた。

「あなた、私が待ってたと思う?」
「……思ってない」
「正解」

彼女は、グラスを置く。

「待ってなんて、いられなかった」
「だろうな」
「それでも」

一瞬だけ、視線が揺れた。

「来るかもしれない、って思った夜はあったわ」

男は何も言わなかった。
謝らない。
言い訳もしない。

青年は、そこでようやく理解した。
この男は――
取り返そうとしない人間なのだと。

夜。
二人は酒場を出て、宿へ向かう。

「後悔は、増えましたか」

青年が問う。

「いや」
「減りましたか」
「それもねえ」

男は空を見上げる。

「形が変わっただけだ」

青年は少し考えてから言った。

「……あなたは、離したんですね」
「そうだ」
「逃げたのではなく」
「……ああ」

その言葉に、男は小さく笑った。

「よく見てるな」
「見ていないと、置いていかれそうで」

男は足を止め、青年を見る。

「俺は、もう誰も置いてかねえよ」
「約束ですか」
「癖だ」

それは、以前と同じ言葉だった。
けれど今度は、重みが違った。

青年は、胸の奥で何かがほどけるのを感じた。

彼はまだ、死にたがりだ。
だが――
誰かに置いていかれる死に方は、選ばなくなっていた。

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