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第1章青い灯火


第一章 青い灯火


夜の森を、一人の少年が歩いていた。

月明かりは薄く、木々の間には白い霧が漂っている。

少年の髪は銀白色だった。

肩に届くほどの髪が夜風に揺れ、その右側から細い三つ編みが一本だけ、静かに胸元へ垂れている。

白い外套の裾には金糸の刺繍。

その隙間から覗く衣服には、淡い水色の石がいくつか埋め込まれていた。

そして左手には、一つのランタン。

中で揺れているのは炎ではない。

淡い水色の光だった。

「……まだ、見つからないね」

少年――エイルは、ランタンを見下ろした。

当然、返事はない。

「まあ、いつものことだけど」

少しだけ笑う。

それは寂しそうな笑顔ではなかった。

むしろ、困った友人に向けるような、ほんの少しだけ悪戯っぽい笑みだった。

「君も、もう少し分かりやすく教えてくれたらいいのに」

ランタンの光が、ふっと明滅する。

「……怒った?」

また明滅する。

「怒ってるね」

エイルは小さく肩をすくめた。

「ごめんごめん」

森の奥で、枝が折れた。

エイルの足が止まる。

先ほどまでの柔らかな表情が消えた。

右手が外套の内側へ伸びる。

そこには短い杖が収められていた。

「……誰?」

返事はない。

ただ、霧の向こうに何かがいる。

エイルは目を細めた。

浅葱色の瞳が、暗闇の中で淡く光る。

次の瞬間。

ランタンの光が、強く輝いた。

「……え?」

エイルが振り返る。

光が示しているのは、森の奥ではなかった。

街道の先。

そこにある小さな村だった。

「そっち?」

ランタンは答えるように、一度だけ明滅した。

「……分かった」

エイルは杖から手を離した。

「行こう」



村に着いたのは、夜が深くなってからだった。

村の入口には古びた木の看板が立っていた。

《リーネ村》

小さな村だった。

家は三十軒ほど。

中央には古い井戸があり、その隣には小さな礼拝堂がある。

しかし、村に入ったエイルを見た人々は、誰一人として声をかけなかった。

視線だけが集まる。

白い服。

銀色の髪。

淡く光るランタン。

そして、どこか人間らしくないほど静かな顔。

「……旅人?」

遠くから誰かが呟いた。

「精霊族じゃないのか?」

「でも耳は普通だ」

「……あまり近づかないほうがいい」

エイルには聞こえていた。

聞こえていたが、気にしなかった。

こういうことには慣れている。

むしろ、自分から話しかけるより、そのほうが都合がよかった。

「こんばんは」

宿屋の扉を開ける。

店主の女性が驚いた顔をした。

「……お客さん?」

「泊めてもらえる?」

「え、ええ……」

「ありがとう」

エイルは微笑んだ。

店主は一瞬だけ目を丸くした。

「……あなた、不思議な人ね」

「よく言われる」

「褒めてないわよ」

「知ってる」

エイルは少し笑った。

そのときだった。

ランタンが明滅した。

エイルの笑顔が止まる。

視線をランタンへ落とす。

水色の光が、宿屋の奥を指していた。

そこには古い階段がある。

その先には、誰も使っていない二階の部屋。

「……あそこ?」

店主が怪訝そうな顔をする。

「どうかしたの?」

「いや」

エイルは首を振った。

「ちょっと気になるものがあって」

階段を上がる。

一段。

二段。

三段。

そのたびにランタンの光が強くなる。

そして二階の突き当たり。

古い扉の前で、光が止まった。

エイルは扉に手を触れた。

瞬間――

頭の中に、知らない景色が流れ込んできた。

赤い夕焼け。

泣いている少女。

白い花畑。

誰かの声。

――「約束したのに」

エイルが息を呑む。

「……今のは……」

映像は一瞬で消えた。

けれど、胸元のペンダントが熱を持っている。

淡い水色の石。

エイルはそれを握った。

「また……記憶?」

ランタンが静かに光る。

その光は、今までとは違っていた。

まるで喜んでいるようだった。

「見つけたの?」

問いかける。

ランタンは答えない。

ただ、扉の向こうを照らし続ける。

エイルはしばらく黙っていた。

そして――

小さく笑った。

「……じゃあ、開けようか」

扉を開く。

部屋の中には、何もなかった。

机も。

椅子も。

家具さえない。

ただ、床に一枚の古い紙が落ちている。

エイルは拾い上げた。

そこには、たった一行だけ文字が書かれていた。

――《忘れられたものは、消えたのではない》

エイルの表情が変わった。

その言葉を、知っている。

ずっと昔。

誰かに言われた。

けれど――

誰に言われたのかだけが、どうしても思い出せない。

「……誰だったっけ」

その瞬間。

背後から声がした。

「それ、お兄ちゃんの?」

エイルが振り返る。

扉のところに、小さな少女が立っていた。

十歳にも満たないだろう。

眠そうな目で、エイルを見ている。

「……お兄ちゃん?」

「うん」

少女はエイルのランタンを指差した。

「それ、青い夢を見せるやつでしょ?」

エイルは黙った。

「どうして知ってるの?」

少女は少し考えてから答えた。

「昨日まで、知らなかったよ」

「……昨日まで?」

「うん」

少女は笑った。

「でも、今朝からずっと夢に出てくるの」

エイルの手の中で、ペンダントが再び熱を持った。

そしてランタンの光が、これまでにないほど強く輝いた。

少女が目を細める。

「ねえ、お兄ちゃん」

「なに?」

「あなた、何を探してるの?」

エイルは答えなかった。

答えられなかった。

自分が何を探しているのか。

それを、正確には知らない。

ただ一つだけ分かっていることがある。

このランタンは、ずっと何かを探している。

そしてその「何か」を見つけるたびに、エイルの中から一つずつ、忘れていた記憶が蘇ってくる。

だから彼は旅をしている。

失ったものを取り戻すためではない。

――自分が、何を失ったのかを知るために。

「……分からない」

エイルはようやく答えた。

「でも」

少女を見る。

浅葱色の瞳には、静かな光が宿っていた。

「たぶん、見つけなきゃいけないんだと思う」

その言葉を聞いて、少女は笑った。

「じゃあ、一緒に探してあげる」

エイルは少し驚いた。

「……どうして?」

「だって」

少女は当たり前のように言った。

「一人で探すより、二人で探したほうが楽しいでしょ?」

エイルは何も言えなかった。

ただ、ほんの少しだけ笑った。

その夜。

村の外れで、青いランタンが静かに灯った。

そしてその光は、遠い遠い北の空を指していた。

そこには、地図にも記されていない場所がある。

かつて世界から忘れ去られた、

――「夢の国」と呼ばれた場所が。

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