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小さく震える肩にどうしてやるのが正解なのだろうか。
故郷ではヴァルに対する恐怖で怯えることこそあれど、目の前で泣かれる事はなかったからはじめての事態に困惑している。
いつもなら泣き喚く者に構うつもりはないのでその場を後にするのだろうが、この白い虎の獣人を前にするとどうも調子が狂うらしい。
何度か深い呼吸を繰り返したカプラは漸く落ち着いてきたのかいつものペースで真っ直ぐに見つめてきた。

「だいぶ取り乱しちゃった。そばにいてくれて、ありがとヴァル」

そうだ。こういうところだ。
出会って多くの時間を過ごしているわけではないが、それでもわかるくらいに彼女はまず最初に感謝をする。
嘆いてばかりの故郷の者達や誰かに縋る町の住人達とは明らかに違うものの捉え方。
この価値観が居心地いい要因なのかもしれない。

「変わってるな。お前は感謝しかしないのか?」

言葉を返したのが意外だったのかカプラは元々大きな瞳を更に軽く見開いて一瞬キョトンとした後、目を逸らさないまま口元の笑みを深くした。

「謝罪より感謝の方が気持ちがいいかなって思うんだけど、違う?」

ごめんねって言葉は言われた側が困っちゃうじゃん、と続けて見上げてくるその瞳は腹の探り合いでも怯えでもなく、ただただ真っ直ぐで。今度はこちらが目を瞠る番だったらしい。そんな考え方には触れた事がなかった。
種族や身分など関係なく、誰かとか変わっている事が幸せなのだと。そういう姿勢を感じる。
未だかつて自分を、こんなに真っ直ぐに見てきた人物がいただろうか。
色薄の一族の中で唯一の漆黒の髪とツノを持って生まれて。
疎まれるか怯えられる事しかなかった。好きで関わっているのではないという態度がありありと窺えて。
腫れ物のように扱われるのは我慢ならなかったから故郷に別れを告げた。
未練や後悔なんて微塵もなかったのは、形式的にしか必要とされていないのを理解していたから。

「ねえ、ヴァル。お願いがあるんだけど聞いてくれない?」

「面白い……。この俺に願いを告げるか」

「誰にでもってわけじゃないよ。ヴァルだったらお願いできそうだって思って」

「聞くだけ聞いてやる。言ってみろ」

とは言ったものの妖精の一族は善意での願いなんてよっぽど聞かない。
精霊の役に立ちたい種族意識や人間のような義理などは行動理由にならない。
つまり妖精族に対して情に愬えるという手段は無意味である。
だから暇つぶしの一環で聞くだけのつもりだった。だが。
彼女は毛並みのいい虎の耳と真っ白な髪を風に揺らしてゆっくりと立ち上がった。
しゃん、と姿勢を正したかと思えば両手を揃えて綺麗な所作で頭を下げる。

「私と、契約をして欲しい」

今度こそ本格的に瞠目した。
彼女と一度もそんな話はしていない。多すぎるカプラの知識量の中に含まれているというのか。
そう、妖精族が動く理由は適正と認めた対価がある契約のみ。例外はよほど存在しない。
甘えた考えで助けられたついでに頼むのではなく正式な手段を用いてきた。妖精族との関わり方をよく知っている。
妖精族にとっての契約は人間でいうところの娯楽や性行為に近いのだ。
契約によって存在が強固なものとなり自己承認や満足感を得られるせいで種族本能として断り難い部分でもある。
ウマが合わない人物との契約は断る理由にもなるが、現状のカプラにはその理由はなかった。

「条件と、対価を示してみろ」

「対価は私に関わる事で見られる景色。退屈させないって約束する」

「ほう」

「これだけ知識のある私が、本気で物事をやろうとして面白くないわけがないの。
しかも、あなたがいてくれるなら私のやりた事が始められる」

「大した自信だな」

「自信つくくらいまでの努力をしてきたからね」

過去へ思いを馳せたのか一瞬口元から笑顔が外れたが常人には気づかない程度の変化ですぐに顔に人当たりのいい笑顔を咲かす。
妖精族との契約は一見契約者に利があるように見えるがその実妖精族に有利なようにできている。
契約不履行、つまり契約者の対価が提示された条件に満たないと妖精族側が判断した場合相手の生命エネルギーを奪って良いとされている。
人間にとっては寿命であり、獣人にとっては身体能力や魔力。もちろん寿命も含まれるのだ。
平たくいうと妖精族との契約は生殺与奪権を握られるということになる。

「俺に求める条件はなんだ」

「それね。本当に大事だと思った」

見合わなければその場で生命エネルギーを奪われかねないので慎重になるのも頷ける。
ただし、こちらも気が長い方ではないので急かそうとしたところで意を決したカプラが口を開いた。

「私を、守って欲しい」

「ああ?」

「言葉の通りだよ。希少な雪虎の獣人だから、ただでさえ狙われ易いのに私は魔法も使えないし護身術もない。
だからあなたは私を守って」

「……それだけでいいのか?」

下手したら命を奪われかねない交渉のなのに条件がシンプルすぎて覇気の削がれた声を出してしまった。
その辺の用心棒を雇う程度で解決しそうな物に命を賭けるとはとことん変な人物だし、ある意味肝が据わっている。
その言葉を予測したのかカプラはふわっと笑って見せた。

「傭兵さんを雇っても、その人の気が変わっちゃう場合もあるからさ。
それに、どうせ死ぬなら考えが好きな人の役に立ったほうがいいし」

襲われて震えるくせに、俺に命を奪われるのは構わないらしい。
自分にとっては簡単すぎる条件なので奪う必要がそもそもないのだが。

「いいだろう。契約してやる」

「ありがと。……契約紋はどこでもいいよ。好きなところに」

「……お前のその知識はどこからきているんだ」

そう、妖精族との契約者は体のどこかに証として魔力由来の契約紋を入れるのだが。
そもそも妖精族との契約が一般的ではないから契約の事例なんてよほどないだろうに。

「あ、本当に契約紋章ってあるんだね。
知識は結構あるんだけど体験するのは初めてだから面白い経験」

「半端な知識で契約をしようとすのか。つくずく変な奴だな」

「最近知ったの。それって褒め言葉なんだね」

どうしてこうも前向きに物事を捉えるのだろう。
問答が面倒になり大きめのため息で会話を終わらせると長い爪の伸びる指をカプラに向けた。

「多少痛みを伴うだろう」

「大丈夫、痛いのには慣れてる」

通常の契約だと魔法紙で書面を作ってサインをしたり大掛かりな魔法陣を描いて寝ずの詠唱をするものなのだが、生まれた時から規格外の魔力と精霊の集まる体質を持っているせいでその辺りの面倒な工程は割愛ができる。
指先に魔力を込めて頭の中で契約陣を思い描けばカプラの体に少しずつ契約紋が刻まれていった。

「ーーっ」

「もう少しで終わる」

雪虎と呼ばれるに相応しい白い肌が自分の紋章に侵食されるのを見て珍しく自分が高揚していることを自覚する。
下衆な言い方をすると「これは俺のものだ」というわかりやすい証。
自分の眷属に入ったと思えば、愛着のようなものも湧いてくる。
そういえばカプラの服がはだけたままだったことに気づき、先ほどの爆撃で綻びのできたマントを肩にかけてやった。

契約の済んだカプラは痛みをやり過ごした後、長めに息を吐ききって何故か幸せそうな笑みを浮かべて笑った。

「これからよろしくね、ヴァル」

そう言ってよろめいた雪虎の獣人を支える。
苦しい時でも癖のように笑顔を浮かべる弱い彼女が、この後どんどん契約の言葉通りに様々な景色を見せてくることになるなんてこの時のヴァルは想像すらしていなかったのだった。


ーepisode.ヴァル 《終》ー
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