第1章 風のざわめき
その日、風がざわめいていた。
まるで誰かが、彼の名を呼んでいるかのように。
王立魔法学園の中庭では、初等課程の実技試験が始まっていた。
春の光が差しこみ、花の香りが風に混じる。だが、少年ーーアシェルの胸の奥は落ち着かない。
魔法陣を描く手が、かすかに震えている。
前夜から何度も練習した、単純な〈光弾(ルーメン)〉の魔法。
それなのに、今日はどうしても魔力が制御できない。
鼓動が速い。風の音が耳の奥で反響する。
意味のない幻聴のはずだった。
だが次の瞬間、彼の杖先が淡く光を放つ。
呪文を口にした瞬間、魔法陣が勝手に変形した。
教官の顔が変わる。クラスメイトのざわめきが遠のく。
空気が裂け、足元に青白い光の紋章が浮かび上がった。
見たこともない、古い言葉の連なり。
ーー“ル=アトラ“
誰の声だったのかもわからない。
眩い閃光とともに、アシェルの意識は白に塗りつぶされた。
【第1章:風のざわめき】
目を覚ましたとき、世界は静まり返っていた。
試験場だったはずの中庭は、まるで嵐が通り抜けたかのように荒れている。
倒れた木々、砕けた石畳、焦げた匂い。
彼の周囲だけ、風が柔らかく渦を巻いていた。
空気が微かに光を含んでいる。
「アシェル......!無事なの!?」
駆け寄ってきたのは幼なじみの少女、リアナだった。
彼女の頬には涙の跡がある。
「大丈夫.....俺、何を.....?」
アシェルは声を震わせながら立ち上がる。
杖の先には焦げた跡。
試験官たちは動揺し、ひそひそと囁き合っている。
「今の......あれは、古代語の呪文だった.....」
「馬鹿な、古代魔法はすべて失われたはずだ」
リサナが彼の手を握る。
その瞬間、彼女の指先に微かな痛みが走った。
アシェルの皮膚の下で、淡い紋章が光る。
「.....君、何者なの?」
アシェルには答えられなかった。
ただ胸の奥で、誰かの声が囁く。
ーー"継がねばならない。蒼き力を”
◇ ◇ ◇
夜の学園は、静かだった。
昼間の喧騒が嘘のように、石造りの廊下には冷たい月光が差しこんでいる。
アシェルは、薄い毛布の上に座っていた。
窓の外には中庭が見える。焦げ跡はまだ残り、あの場所だけ、風がゆるやかに回っている。
「.....あれは、本当に俺がやったのか?」
声にしても、誰も答えない。
ただ、胸の奥で微かな熱が脈打っていた。
そのとき、扉が音もなく開いた。
リサナが入ってくる。
ランプの灯が、彼女の赤毛をやわらかく照らしていた。
「アシェル、聞いたの。学院の上層部がーー」
「俺を追放する、だろ?」
アシェルは自嘲するように笑った。
「仕方ないさ。あんな魔法、誰にも説明できない」
リサナの瞳もランプの灯のように揺れている。
「先生たちも怖がってる。
"古代の紋章”って言ってたよ。
あれは、この王国では封印されたものだって」
アシェルの胸がざわめいた。
その言葉を、風が拾ったように感じた。
一一継がねばならない。蒼き力を。
再び、あの声だ。
どこからともなく、彼の耳の奥に響く。
「......俺、確かめたい」
「確かめるって、どこへ?」
「声が言ってた。北へーー」
リサナは一瞬迷った顔をしたが、すぐに頷いた。
「わたしも行く。どうせ止めても行くんでしょ」
アシェルは小さく笑う。
「ありがとう。リサナが幼馴染でよかった」
◇ ◇ ◇
深夜、学園の鐘が三度鳴った。
見張りの交代の合図。
二人はその隙を突いて、寮を抜け出した。
石畳の道を駆け抜ける。
遠くで犬が吠え、夜風が二人のマントを揺らした。
門を抜ける寸前、背後から声がした。
「ーー待て、アシェル!」
振り返ると、そこには一人の男。
銀髪の中年、古代文字を刺繍した長衣。
魔法学園で古文書を扱う教師、マグナスだ。
「先生.....」
マグナスは深いため息をついた。
「やはり行くのか。止めても無駄か」
アシェルは頷いた。
「俺、自分が何をしたのか知りたいんです」
マグナスは一瞬ためらい、懐から古びた本を取り出した。
表紙には、青い宝石が埋め込まれている。
「この本は、お前が暴走したときに反応した。
記録によれば、"蒼王家"(セレスト・ロア)の印だ。
千年前に滅びた古代の王国の......な」
アシェルの心臓が跳ねた。
"蒼王家"一ーその響きが、なぜか懐かしい。
マグナスは続けた。
「北の山脈を越えた先、<風の祠(エリルフィア)>に行け。
古代の魔法はそこから始まった。
お前の中の"何が”も、そこに答えがあるはずだ」
リサナがアシェルの手を取る。
「行こう、アシェル」
マグナスは背を向け、最後に呟いた。
「......文献通り、継承者が再び現れるとはな。願わくば、その力が滅びではなく、希望を選ぶことを」
◇ ◇ ◇
夜明け前。
丘の上から学園の尖塔が遠ざかっていく。
空は薄紫に染まり、朝露が草を濡らす。
風が吹いた。
その風は、彼の髪を揺らしながら、どこか嬉しそうに囁く。
ーーようやく、見つけた。
アシェルは思わず足を止めた。
風の中に、誰かの笑い声が混じっている。
微かに、優しい声だった。
「.....これが、"継承”なのか?」
リサナが振り返る。
「なに?」
「いや、なんでもない」
彼は小さく息を吐き、北の空を見上げた。
その瞳の奥に、淡い蒼の光が宿っていた。
その日、風がざわめいていた。
まるで誰かが、彼の名を呼んでいるかのように。
王立魔法学園の中庭では、初等課程の実技試験が始まっていた。
春の光が差しこみ、花の香りが風に混じる。だが、少年ーーアシェルの胸の奥は落ち着かない。
魔法陣を描く手が、かすかに震えている。
前夜から何度も練習した、単純な〈光弾(ルーメン)〉の魔法。
それなのに、今日はどうしても魔力が制御できない。
鼓動が速い。風の音が耳の奥で反響する。
意味のない幻聴のはずだった。
だが次の瞬間、彼の杖先が淡く光を放つ。
呪文を口にした瞬間、魔法陣が勝手に変形した。
教官の顔が変わる。クラスメイトのざわめきが遠のく。
空気が裂け、足元に青白い光の紋章が浮かび上がった。
見たこともない、古い言葉の連なり。
ーー“ル=アトラ“
誰の声だったのかもわからない。
眩い閃光とともに、アシェルの意識は白に塗りつぶされた。
【第1章:風のざわめき】
目を覚ましたとき、世界は静まり返っていた。
試験場だったはずの中庭は、まるで嵐が通り抜けたかのように荒れている。
倒れた木々、砕けた石畳、焦げた匂い。
彼の周囲だけ、風が柔らかく渦を巻いていた。
空気が微かに光を含んでいる。
「アシェル......!無事なの!?」
駆け寄ってきたのは幼なじみの少女、リアナだった。
彼女の頬には涙の跡がある。
「大丈夫.....俺、何を.....?」
アシェルは声を震わせながら立ち上がる。
杖の先には焦げた跡。
試験官たちは動揺し、ひそひそと囁き合っている。
「今の......あれは、古代語の呪文だった.....」
「馬鹿な、古代魔法はすべて失われたはずだ」
リサナが彼の手を握る。
その瞬間、彼女の指先に微かな痛みが走った。
アシェルの皮膚の下で、淡い紋章が光る。
「.....君、何者なの?」
アシェルには答えられなかった。
ただ胸の奥で、誰かの声が囁く。
ーー"継がねばならない。蒼き力を”
◇ ◇ ◇
夜の学園は、静かだった。
昼間の喧騒が嘘のように、石造りの廊下には冷たい月光が差しこんでいる。
アシェルは、薄い毛布の上に座っていた。
窓の外には中庭が見える。焦げ跡はまだ残り、あの場所だけ、風がゆるやかに回っている。
「.....あれは、本当に俺がやったのか?」
声にしても、誰も答えない。
ただ、胸の奥で微かな熱が脈打っていた。
そのとき、扉が音もなく開いた。
リサナが入ってくる。
ランプの灯が、彼女の赤毛をやわらかく照らしていた。
「アシェル、聞いたの。学院の上層部がーー」
「俺を追放する、だろ?」
アシェルは自嘲するように笑った。
「仕方ないさ。あんな魔法、誰にも説明できない」
リサナの瞳もランプの灯のように揺れている。
「先生たちも怖がってる。
"古代の紋章”って言ってたよ。
あれは、この王国では封印されたものだって」
アシェルの胸がざわめいた。
その言葉を、風が拾ったように感じた。
一一継がねばならない。蒼き力を。
再び、あの声だ。
どこからともなく、彼の耳の奥に響く。
「......俺、確かめたい」
「確かめるって、どこへ?」
「声が言ってた。北へーー」
リサナは一瞬迷った顔をしたが、すぐに頷いた。
「わたしも行く。どうせ止めても行くんでしょ」
アシェルは小さく笑う。
「ありがとう。リサナが幼馴染でよかった」
◇ ◇ ◇
深夜、学園の鐘が三度鳴った。
見張りの交代の合図。
二人はその隙を突いて、寮を抜け出した。
石畳の道を駆け抜ける。
遠くで犬が吠え、夜風が二人のマントを揺らした。
門を抜ける寸前、背後から声がした。
「ーー待て、アシェル!」
振り返ると、そこには一人の男。
銀髪の中年、古代文字を刺繍した長衣。
魔法学園で古文書を扱う教師、マグナスだ。
「先生.....」
マグナスは深いため息をついた。
「やはり行くのか。止めても無駄か」
アシェルは頷いた。
「俺、自分が何をしたのか知りたいんです」
マグナスは一瞬ためらい、懐から古びた本を取り出した。
表紙には、青い宝石が埋め込まれている。
「この本は、お前が暴走したときに反応した。
記録によれば、"蒼王家"(セレスト・ロア)の印だ。
千年前に滅びた古代の王国の......な」
アシェルの心臓が跳ねた。
"蒼王家"一ーその響きが、なぜか懐かしい。
マグナスは続けた。
「北の山脈を越えた先、<風の祠(エリルフィア)>に行け。
古代の魔法はそこから始まった。
お前の中の"何が”も、そこに答えがあるはずだ」
リサナがアシェルの手を取る。
「行こう、アシェル」
マグナスは背を向け、最後に呟いた。
「......文献通り、継承者が再び現れるとはな。願わくば、その力が滅びではなく、希望を選ぶことを」
◇ ◇ ◇
夜明け前。
丘の上から学園の尖塔が遠ざかっていく。
空は薄紫に染まり、朝露が草を濡らす。
風が吹いた。
その風は、彼の髪を揺らしながら、どこか嬉しそうに囁く。
ーーようやく、見つけた。
アシェルは思わず足を止めた。
風の中に、誰かの笑い声が混じっている。
微かに、優しい声だった。
「.....これが、"継承”なのか?」
リサナが振り返る。
「なに?」
「いや、なんでもない」
彼は小さく息を吐き、北の空を見上げた。
その瞳の奥に、淡い蒼の光が宿っていた。
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